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保津川遊船の豊田さんと考える川ごみのお話

更新日:2023年10月27日



今回お話を伺ったのは、

京都府亀岡市「保津川下り」を運営する保津川遊船企業組合代表理事でありながら、環境問題に取り組む特定非営利活動法人プロジェクト保津川の活動も行う、豊田 知八(とよた ともや)さんと、大阪商業大学公共学部公共学科の准教授として海洋プラスチック問題を研究されている減プラスティックのキーパーソンであり、ゴキゲンらぼのアドバイザーも務めてくださっている原田禎夫先生です。




<プロジェクト保津川のはじまりは20年前のボランティア活動から>


今井みさこ(以下・今井):ゴキゲンらぼの今井みさこがインタビュアーを務めさせていただきます。プロジェクト保津川の成り立ちについてお話しいただけますか。


原田先生(以下・原田):プロジェクト保津川を創って10年強が経ちます。それよりも前から保津川の掃除は始められていたので20年ぐらいですよね。


豊田さん(以下・豊田):私もまだ30代だったので、「若手船頭さんが掃除なんかをして!」と、周囲からは言われていた時代でした。当時は2月後半から3月にかけて、保津川下りのシーズンが始まる前の3日間だけの掃除でした。お客様が来られるのに、川を綺麗にしておかないと恥ずかしいよねっていうぐらいで。ただ、これだけで一年を通して川が綺麗になるわけではないし、掃除は続けていく必要がある。ごみが流れてきた状態を放っておけないという想いからスタートしました。



今井:この時に、プラスチックごみが増えてきたことを体感されていたのですか?


豊田:はい。この活動を始める以前のごみ拾いは、空き缶・空き瓶拾いというイメージが強かったです。ですが、だんだんと、ペットボトル、トレイ、コンビニの弁当箱といったプラスチックがごみに増えてきました。景観はみるみる美しくなくなっていきました。「清掃をやると」と決めてはみたものの、どこから手をつけてよいのか分からないというのが正直なところでした。数人のメンバーで出来ることは限られています。1日ごみを拾って歩いたとしても対岸両方は行けませんし、それだけで1日が終わってしまう状態。これを何日繰り返しても、ごみの回収に繋がっているという実感が持てない状態でした。それでも当時は『やらないよりやるしかない』という考え方でした。目の前にあるひとつのペットボトルを拾えば、確実にごみは減ります。具体的な効果というより、一つずつ拾って行こうという気持ちでした。

実は、当時、海外のお客様から「川や景観が汚いですね。掃除はしないのですか」と言われたことがありました。この言葉にハッとしたんです。日本の方でも実際に思っているに違いないと。そこから本格的にやろうということで、ボランティア活動がスタートしたのです。


今井:当時、行政側から活動に対して何か働きかけがあったのですか?


豊田:いいえ、行政側からの働きかけはなく完全にボランティアです。清掃活動は私が所属する会社の課題という位置づけでしたね。当時は、とにかくやらないとダメだと活動に燃えていたこともあり、その姿に若い船頭さんたちが影響をうけたのか、最初の半年は1~2名だったメンバーも2年目で6〜7名になりました。




<継続が引き寄せた共感者>


今井:2年目で6~7名にも広がったのですね。


豊田:職場の中で「署名を集めてごみの問題を進めよう」という声もあがり、署名活動も行いました。活動に共感してくれるたちが増えていくことを期待していた為、当時の先輩方には組織をつくって欲しいと訴え続けていました。しかし、職場内では「イタチごっこだ」と。地域の人たちも「掃除は船頭さん達の仕事場だからやるのは当たり前」という声も聞こえてきました。


今井:原田さんも最初はそう思っていたと仰っていました。

豊田:非協力的な意見がある中でモチベーションを保ちながらやり続けるというのは、なかなか大変なことでした。そこで私達の活動について知ってもらう場も必要と考え行動し続けた結果、最初のきっかけを手に入れたのが、保津川に船が流れるようになって400周年の2006年です。2005年に亀岡市役所、保津川遊船、亀岡市のそれぞれに準備委員会が設立。翌年の2006年に向けて共に何かしようという関係性になった時、伝統ある川下りの歴史や文化も大事ですが、今の川の現状を知ること・川の環境を考えることも大事だという話をそこであげました。



今井:初めて声をあげたということですか?


豊田:はい、そうです。ここから、少しずつ私達の活動が理解され始めました。行政から「観光イベント・賑わいを作りたい」という希望がありました。しかし、賑わいだけでは一過性になるから、その中に、歴史・文化の部会・環境部会を作ってもらいたいと提案して、3つの部会が出来ました。環境部会では、川ごみ問題に対して、「保津川の実態を見てもらおう。みんなで何か大きなイベントとして、保津川の河川の環境を守ろう!市民100人の輪で保津川を囲もう!」など、いろいろなイベントが行われました。コミュニケーションを繰り返すうちに川の環境の問題が段々と理解され、保津川の400周年に対して一緒にアプローチしてくださる団体が増えていきました。その中で、桂川全体の川の環境や川の取り組みを考えられている団体とのご縁ができ、保津川のごみの話をする機会がありました。その勉強会に、原田先生がいらっしゃったのです。原田先生と川ごみの話をしていく中で、NPOであれば取り組みとして出来るのではないかということになったんです。ここが一つの転機ですね。

今井:豊田さんの想いが繋がっていったのですね。


豊田:ありがたいことです。原田先生や亀岡の桂川市長(当時は市長ではなかった)にも、当時の立ち上げメンバーとして入っていただき、約15人ぐらいで会が結成されました。行政の方、学識経験者が入っていただいた事はとても大きなことでした。


原田:僕も当時は、今のこの海洋プラスチックごみの問題の事を知りませんでした。というもの、ごみは保津川一帯にあるわけではなくて、谷間にあります。電車に乗っていて、トンネルとトンネルの間で一瞬目に入る風景の一部として見えるのが谷間なんですね。毎日のように川を見たり、川遊びや魚釣りをしに行っていましたが、ごみを頻繁に目にするわけではなかったのです。



<事実を伝えて、知ってもらう>


豊田:まずは、川で起こっていることを知ってもらうことが一番大事だったため、センセーショナルな風景を映した写真を見せてお伝えすることも多くありました。12〜16km区間の渓谷の中には、何十か所とごみが溜まる場所がありました。さらに、川の水が増水していくと、水面が上がりますよね。そうなると木の枝に流れてきたレジ袋がひっかかる。枝も落葉樹だと尖がっていますから、葉っぱ部分にレジ袋が巻き付きます。そして、水面が下がるとレジ袋が七夕の短冊のように垂れ下がった状態になって姿を現すのです。



今井:すごい光景でしょうね。


豊田:胸が痛むような光景が生まれます。ごみ拾いを続けていると、レジ袋そのものを拾うことはないのですが、ビリビリに破れたレジ袋の切れ端は山ほど目にします。ペットボトルが目立って多いような気がしますが、実は違う。レジ袋のごみは少ないというイメージを持たれている方が多いようですが、実際にごみ拾いをしているとそんな実感は全くない。保津川のたった16km区間でレジ袋のごみがこれだけあるのに、日本中の川を想像するとどれだけあるか想像すると恐ろしいです。レジ袋のごみは沢山の量を拾い集めても幾ばくかの重量にしかならない。そういうカラクリもあるのかなと思いました。




<保津川に流れついたごみが海に流れていく>


豊田:保津川に流れついたごみが海に流れていくという点が、原田先生とご一緒したことで段々とわかってきた事実です。そして、海ごみ問題が大きくなり、その原因は海の見えない街や川だということが理解ができました。川のごみが少ないという思い込みから、川の掃除はやらなくていいと考えていたら、永遠に海のごみはなくならない。この意識を改革しなければなんともなりません。問題解決としては「提供されるモノの在り方の見直し」。つまりはレジ袋の禁止が一番実施しやすく、消費者側である程度判断できるのではないかということに気付きました。普段から使用しているからこそ、意味があることだろうと考えました。なので、亀岡市のレジ袋禁止は象徴的な取り組みです。


今井:活動をし続けたことで気づけた大きなポイントですね。


豊田:そうですね。自分達の仕事場に誇りを持てないということからスタートしました。明確な答えも計画もなかったのですが、やっていくことによって一石を投じれば何かが大きく動き出すことがあるかもしれないという希望を持っていました。そしてやってきた中で気がつけば、世界の大きな問題や、これからの環境・人間のライフスタイルの問題にまで関わっているということになり、活動の意義が一気に変わりました。


今井:どのように意識が変わったのかが気になります。


豊田:やることへの使命感です。自分の職場を守るだけの使命感とはスケールが異なります。世界の問題に対して何かを訴えていくわけでもなく、世界を見に行ってどうこうするわけではないですが「自分の目の前のこと・足元のことをきちっとやっていくとが、世界の問題に繋がっている」ということになれば、今のこの目の前の問題をきちっと解決していくことも、大事なことだと思える。やるべきことは、続けていくことです。


今井:情報が多いぶん、知識だけが先行してしまい、世界のことを考えるとあまりにも大きな問題すぎて「自分の行動の先にある結果が本当に正しいのかが見えず、何をやったらいいのが分からない」という人は多いと思います。そんな人に届いてほしいという思いで始めたのが、#サステナ部 です。ライフスタイルでできることをわかりやすくお伝えしています。


豊田:1人の行動が世界の問題に繋がっていくのですね。


今井:1人のワンアクションが大事なんです。豊田さんのお言葉でとても素敵だと感じたのは「自分の職場に誇りを持ちたいから、保津川は綺麗にするべきだ」という考え方。すごく身近なことで、どんな仕事であっても気付けることですし、#サステナ部 のような自分の身近な行動にも通じる事です。「世界に繋がる・誇りを持つために綺麗にする」というのは素敵なことですね。


豊田:伝統ある仕事ですので大事にしたいです。




<時代の変化に左右されない大切なこと>


今井:文化の継承もサステナブルであり、伝統ある仕事を繋いでいくことは大切だと感じます。私が住むアメリカでは400年も続く企業も場所もほとんどありません。日本には長寿企業がたくさんありますよね。文化の継承もサステナブルな世界をつくる良いアクションだということをもっと伝えていきたいです。


豊田:そうですね。江戸時代の日本の生活の中にも、無駄をなくし、ごみも減らし暮らしていた歴史があるわけで、モノを大切にするという考え方がもともとあった。ただ、経済的な発展で大量生産、大量消費が良いという物質的な豊かさが出てきたことによって、モノを大切にする考え方がブレているところがあるように思えます。ただし、本質的にはモノを大切にする考え方に帰っていく可能性は強いと感じています。

今井:そうですね。保津川プロジェクトは、身近なことを取り組み続けた結果、条例制定につながった素晴らしい事例です。


豊田:それぞれに立場が必ずありますから。何かをやろうと考えた時に、自分達の出来ること、目の前のことをまずやることが大切ですね。


今井:実践されているからこそ、説得力があります。


豊田:昔を振り返ってみると、今は本当にいい時代になったとは思います。僕達の子供の頃と比べると本当に快適に良い暮らしができるようになっていると思います。その分、負の遺産もあり、そこは解決していかないとダメですね。


今井:今が変わり目だと感じます。アメリカに住んでいると、日を増すごとにサステナブルという言葉が企業でも生活の場(例えばスーパーマーケットに行っても、みんなが必要だよねっていう共通言語になっている)でも耳にします。私はここに面白みや興味が湧いたため、大学で勉強をしました。日本にまだそこを本質から理解して知識として持っている人は少ないのではないかと思い、発信を始めました。




<日本とアメリカの目線の違い>


原田:少し話は変わりますが、日本のスーパーマーケットの売り場を見ていて、なるほどと思ったことがあります。たくさんの種類の豆乳ドリンクが並んでいますが、それには、食物繊維がからだに良い!といったキャッチフレーズがパッケージに書かれています。アメリカのスーパーマーケットに行くと、環境負荷が低いとかサステナブルなキャッチフレーズが必ずと言っていいほどパッケージに書かれています。各メーカーがそれぞれに伝えたいメッセージがある一方で、日本とアメリカとでは違いがあることにハッとしました。


今井:そうなんですよね。日本は各地域(小さいブロック)によって文化や食が作られていて、今も残っていますよね。それぞれに幸せの形があって、逆を言えば、エリアによって課題となることが大きく違うのかもしれません。その中で暮らせているからこそ、環境とか大きく全体を見る視座を持つような機会が少ないのかもしれませんね。結果として、消費者に向けたメッセージは健康に良い、身体に優しいの自分事に受け取ってもらえるのかもしれません。


原田:健康に良いとか身体に優しいというのは地球に優しいことにもなるのですが、そこが繋がっていないのですね。僕達もごみ拾いをし始めた当初は、保津川を綺麗にしたいという思いだけでしたが、いろいろと勉強をして俯瞰して世の中を見ていくと、実は世界の海ごみの問題にも繋がっていることに気付かされました。


今井:目の前の問題として切り取らず、大きく捉えることはとても大切ですね。




<世代を分断せず協力する姿勢>


豊田:環境について学びたい学生さん達と交流を持つ際に考えるのですが、やっぱり最終的にごみの問題はその世代の人たちに置いていかざるをえない問題です。自分達は、高度成長期から恩恵を受けて享受した世代です。ペットボトルだってそうだったと思うし、スーパーのシステムだってそうだった。「その課題を残したまま次の世代に渡すっていうことはできないから、生きている限り、命ある限りやっていきます」ということをいつも言うんですけどね。でも、これはおそらく、今のその世代から、また次の世代の子供達が背負っていかなければならない問題だからこそ、ここで訴えていく。「僕達がなぜこの活動をはじめ、今誰の何の為に一生懸命続けているのかということを訴えていく」という話をよくしています。 当然ながら、子供達からは反論が返ってきます。十分享受した世代を責めてもいいのですが、一緒に考えていこうというスタンスで、世代間で共有し、話し合うことが大事だと思うんです。とはいえ、一方で、僕達の世代は無責任な発言をする人もいます。


今井:豊田さんの同世代の方ですか?

豊田:「仕方がないだろう」とか「一体どうするんだこんな問題」とか「それは次の世代の考えることだろう」といった声も挙げる方もいます。しかし、それはちょっと違うと思うのです。昭和40年〜50年は、邦画の『ALWAYS〜三丁目の夕日』のような雰囲気の街がたくさんありました。たった50〜60年のうちに人々の生活はガラリと快適に便利になっていった。しかし、今やエネルギーの問題など、課題は山積みです。こうなってしまったのだから仕方がないで終わらせるわけにはいかない。色んなことに問題提起をしておかないと、次の世代に続いていきませんし、私たちは伝えていく責任があります。


今井:とても大切なことですよね。


豊田:自分達が生活をつくりあげた当事者であるということを念頭において、次の世代と一緒に考えてアクションをすることが必要です。「世代を分断せず協力していく」ということをしないと引き継がれてきません。それが今、一番大切な事だと思っています。



 

***最後に***

つい先日とあるセミナーを聴講していた際に心に残ったフレーズがあります。

顧客は価値を買うがファンは応援を買う

顧客をファン化させてビジネスにつなげるために大切な3つのこと。

  • 「恋」してもらうこと。

  • 「コミュニケーション」をつくる仕掛けをつくること。

  • 「不便益」を残しておくこと。

これを、豊田さんのお話や活動に置き換えてみると

  • 「誇りを持ち活動し続ける」ことで共感者をどんどん増やされている。

  • 「保津川下り」「講演」「地域活動」など多くの場での対話がポイント。

  • 「本質的な問題解決」に挑み続けること。

ということが言えそうです。まとめると、、

「どんな活動であってもこの人に惚れたから応援したいと思う気持ち」

「一人じゃなく仲間・ファンと一緒に」活動し続けることが大切ですね。

長文を最後まで読んでいただきありがとうございました!この記事を読み“何かを始めたい”と少しでも感じたあなたへ。“全部1人でしようとしないでください。助けて・一緒に

しようってちょっと勇気を出して声にしてみてください。ほら、近くに応えてくれる仲間

いたでしょ”






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