金属加工技術が世界から認められた新潟県燕市にてサステナブルツアーを開催!
通水100周年を迎える大河津分水の歴史を学ぶ!

2022年4月、ゴキゲンらぼのサステナブルツアー@新潟県燕市を開催しました。サステナブルを実践しているスポットをはじめ、燕の産業の歴史に触れるツアーのナビゲートは#サステナ部のサポート企業でもある新越ワークスのスリースノー事業部部長の山後隼人さんに依頼しました!当日のレポートをお届けします。



左:木村まゆこ 中央:今井みさこ 右:山後隼人さん
この日は、大河津分水さくら公園の桜が見頃を迎え、訪れる人々を楽しませていました。

プロが愛用するスリースノーのざるづくりを見学

燕三条駅に到着後、まず向かった先は、まどろむ酒器を制作する新越ワークス、スリースノー事業部の工場!スリースノーさんは、燕市で58年に渡り業務用厨房用品を続けている製造販売メーカーさんです。網のカットから検品まで丁寧に作業されている様子を見せていただきました。丈夫で使いやすいスリースノーの商品は、ラーメン店、うどん、蕎麦店、そうめん店などで幅広い飲食店にて使用されています。また、今話題の料理研究家の一人でもあるタサン志麻さんがザルを愛用していることでも有名なんですよ!




新越ワークス、スリースノー事業部部長山後隼人さんのインタビュー記事はこちらから読むことができます。


記事タイトル

新潟県燕市の文化の継承「文化の継承もサステナブルなアクションの一つです!

https://www.gokigen-lab.com/post/haretoke-tubameshi-sustainable

「おうちごはん」をより豊かにしてくれる「まどろむ酒器」株式会社新越ワークス 山後隼人さんインタビュー

https://www.gokigen-lab.com/post/madoromushuki1

半世紀に渡る、サステナブルな日本のものづくり!「まどろむ酒器」株式会社新越ワークス山後隼人さんインタビュー

https://www.gokigen-lab.com/post/madoromushuki2



越後平野の治水の歴史が詰まった日本最大級の治水事業「大河津分水路」

燕三条エリアがどのようにして金属加工の産地として成り立っていったのか。そのルーツを知るために、燕市にある信濃川大河津資料館を訪れました。



大河津分水をご存知ですか?

明治時代から本格的に工事が始まり、1922年に通水した越後平野を守るためにつくられた人工の河川のことです。この大河津分水は、今年で通水100周年を迎えます。現在、大河津分水路は新潟方面への生活用水をはじめ、かんがい用水として必要な水量毎秒270立方メートルを流しています。

日本三大河川の一つでもある信濃川は、長野県と新潟県にまたがって流れていて、なんと全長は367km!大河津分水路は、河口から約50km地点の分岐するところにあり、全長が9.1kmあるんです。

大河津分水路ができる前、信濃川は越後平野に大きな恵をもたらす一方で、大洪水が何度も起こり、沿川はその度に大きな被害が発生していました。1842年、明治に入って工事が始まりますが、数年で中断。そして、1896年7月に「横田切れ」という大水害が発生し、長岡から新潟のほぼ全域にわたる180㎢が浸水し、多くの人が住居から食料までを失い苦しむことになります。この洪水を機に分水建設の声は高まり、明治42年に工事が再開されます。



この工事は当時例を見ない大規模なもので「東洋のパナマ運河」とも言われました。地元の人々をはじめ、分水の工事へ出稼ぎでやってきた人を含め1000万人にも上る人が参加しました。そして、当時、日本初の大型機械を用いた山地掘削や自在堰の建設など、最新の技術とノウハウが投入され15年にわたり工事が続きました。多くの困難を克服して1922年、大正11年に通水された大河津分水路。この分水路の完成で下流の洪水が激減し、越後平野発展の基礎となりました。



人の手で掘り、積み込んで運搬していた時に使われていた現物のトロッコも展示されています。




信濃川大河津資料館ではコーディネーターを務める樋口勲さんに解説いただきました。



河川にながれる水量を調整するために、大河津分水路には可動堰、信濃川本川には洗堰がつくられています。




資料館の展示の中で印象的だったのは、江戸時代当時の越後平野が、3年に1度の頻度で水害が発生していたせいで、潟や沼が点在する低湿地帯だったこと。腰まで水に浸かりながら稲刈りをする泥沼の田んぼ「深田」が各地に広がっていたそうです。今でこそ米どころの産地として有名な新潟になるまでの、人々の努力、苦労が伺えました。



大河津分水路の改修工事のリーダーであった土木技師の青山士さん、宮本武之輔さんのお話しには、深い感動を覚えました。青山士さんは、日本人でただ一人パナマ運河の測量設計に携わった方です。パナマから帰国後、荒川放水路や信濃川大河津分水路の改修に携わっています。



宮本武之輔さんは、荒川放水路の小名木川閘門の設計施工に携わった後、大河津分水可動堰 (かどうせき) の設計と施工の陣頭指揮をとり、堰の開閉方法を変えた可動堰を建設されています。

青山さん、宮本さん共に、技術者として、指導者として近代土木の道標とも評されています。



4階の展望室からは雄大な信濃川や大河津分水の風景を見渡せます。




2002年に、国の登録有形文化財として登録された洗堰(旧洗堰)の前で記念撮影!1922(大正11)年につくられた旧洗堰を、当時の姿のまま残してあります。

大河津分水が完成したことにより、越後平野は水害の減少など治水上の安全度が格段に上昇し、新幹線や高速道路の開通もあり、大きな発展を遂げたそうです。お米の産地として有名になり、燕三条エリアで金属加工産業が広がるなど、新潟の歴史の始まりを感じることができました。信濃川大河津資料館にはさまざまな展示、映像物もあり、さらに詳しい情報もありました。100年も前にこれほど大規模な工事が行われたこと、この地で生きることと真剣に向き合い、支えあった人々の気持ちが伝わりました。持続可能な社会を目指す人々がこの時代からいた日本。本当の意味でのサステナブルに触れた気持ちになりました。


サステナブルツアーをサポートしてくださった皆様、新越ワークススリースノー事業部部長の山後隼人さん、信濃川大河津資料館ではコーディネーターを務める樋口勲さん、オフィスアトム代表のフォトグラファー宗村亜登武さんはじめ、皆様、貴重な機会をありがとうございました。

2022年8月に通水から100年を迎えた大河津分水ではさまざまなイベントが予定されています。興味のある方は、ぜひ、お出かけしてみてはいかがでしょうか。




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